院長の紹介

院長 池田の紹介

名前:池田 佳未(いけだ よしみ)
生年月日:1984年6月22日 (35歳)
趣味:スノーボード・野球・魚釣り・キャンプ・音楽鑑賞・読書
休日の過ごし方:家族と出かける・食べ歩き
好きな食べ物:ラーメン・焼肉・餃子・魚・たこ焼き・焼き鳥
好きな言葉:貫くことで思いは遂げられる

有資格

理学療法士(国家資格)
呼吸療法認定士
触圧覚刺激法アドバンスコース修了
国際PNF協会Advenced Course Level3修了
BiNI Approach 本コース修了
頭蓋・内臓アプローチ習得
操体法習得
食生活アドバイザー3級取得
分子栄養学習得

経歴

兵庫県豊岡市立五荘小学校 豊岡北中学校卒
兵庫県立豊岡高等学校卒
大阪リハビリテーション専門学校卒
理学療法士免許取得
大阪府下のリハビリ専門病院、訪問リハビリにて10年間勤務
慢性疼痛・難治症状専門 出張整体院開院
女性特有症状専門整体院『いたみ いろどり整体院』開院

いたみ いろどり整体院 開院への想い

2019年1月に伊丹市に開院した整体院が『いたみ いろどり整体院』がです。

この整体院の院長が、池田佳未(いけだよしみ)です。
理学療法士という国家資格を取得し、10年以上の病院勤務を経た後、理学療法士として働きながらも空いた時間を使い訪問専門の自費治療院として痛みに苦しむ患者さんの治療にあたってきました。
口下手で、人として決して器用なタイプではありませんが、そんな彼を信頼して「身体を診て欲しい」という依頼は後を経ったことがありません。
そしてその患者さんの多くが、年単位で池田の治療を受け続けています。
長い方ではすでに3年を超える方もいらっしゃいます。
ここまで長期間にわたって治療を望まれるのは患者さんが良くなっていないからではありません。
むしろ診てもらうことで良くなるからこそ、数年にもわたって池田に継続して依頼して下さっているのです。

周りの治療家のみなさんは池田のことを「治療馬鹿」と呼びます。
「知り合いの先生はみんなそう言ってくれるんですよ(笑)僕からするとこれ以上ない誉め言葉です。」
池田院長は笑いながらそう話します。

「ヒトを良くしたくて働き始めてから休み返上して研修会に行き続けてました。
この10年間で700~800万円くらい使って治療技術や知識を習得してきました。
ここまでの金額を使ってきた先生を私自身もあまり聞いたことがありません。
自分でもつくづく治療馬鹿だなぁと感じてます。」

他人のためにここまでの時間と費用を使えるのはなぜだろう?
そんな「治療馬鹿」の原点を紐解いていきます。

野球に明け暮れた毎日と、その中での辛い経験

1984年、兵庫県の小さな町で池田は生まれました。
両親と兄、妹の五人家族の次男で、運動が大好きな子どもでした。
とにかく外で遊ぶことが大好きで、近所の友達と朝から晩まで遊び回っていたそうです。
中でも野球は無我夢中になってやりました。

小さい頃から1つのことに熱中すると周りが見えなくなり、とことん追求して極めたい気持ちがあったようで、この性格が今の彼を作っているのかもしれません。
「小学校3年生から高校3年生までの10年間、白球を追いかけました。本当に充実した日々でした。
決して上手なわけではなかったのですが、ただただ純粋に野球が好きで、飽きずにずっと取り組んでいました。」

しかし、中学の頃から少しずつ腰痛に悩まされるようになっていきました。
それほど腰痛が強くなかった頃は、シップを貼ったりすることで収まった気になり、野球を続けていました。
しかし高校の頃に無理な体制でボールを追いかけた時、腰に激痛が走ったのです。

「あの時は正直マズイと感じました。『ブチッ』という、今までに聞いたことのない音が聞こえましたから。」
それでもレギュラーを取れるかギリギリのところだった池田は、痛みをコルセットを巻いたり腰に痛み止めの注射を打ったりすることで誤魔化しながら野球を続けたのです。

医者から言われた強烈な一言

腰の状態は池田自身が思っていた以上に深刻で、腰への痛み止めの注射は2度、3度と回数も増え、間隔も短くなっていきました。
そしてあるとき、当時お世話になっていた整形外科の先生にこう言われたのです。

「池田君、もう無理して野球しなくて良いんじゃない?あんまり無理すると今後の日常生活にまで影響するよ?」

「今思うと先生は僕の今後の生活、人生を本当に心配してくれてたんだとわかります。事実その後、僕の腰痛は10年以上続きましたから(笑)
ただ、その頃の僕には野球しか熱くなれる物が無く、辞めるように言われたときは悲しさと苛立ちと、、、なんとも言えない感情に襲われました。
ヒトって自分にとって大事な物事があって、それを奪われると本当に生きているのも辛くなるっていうことをそのときに学んだような気がします。」

池田の「絶対に諦めたくない」という気持ちの原点はここにあるとも感じれる言葉でした。

高校生だった彼は、なんとしても最後までやり抜きたい希望を伝え、痛み止めの注射を続けました。
しかし一度大きく崩れてしまった身体はコルセットや痛み止めの注射で抑え込むことは出来ませんでした。
薬が切れるとまともに歩くことも横になって眠ることもできないくらいの激痛に襲われ、眠れない夜もあったそうです。
更に、身体の一部が崩れてしまうとそれをかばおうとして膝や足首、肩、首、肘と次々と他の関節も痛めてしまう悪循環に陥っていました。
結局、次々と体を痛めていった池田少年は、高校時代ほとんど試合にも出ることは出来ませんでした。

自分のような辛い思いをする人の力になりたい!

このような経験から自分のように怪我や関節痛みで苦しんでいる人の力になりたい!!と思うようになった池田は、看護師をしていた母親の勧めもあり「理学療法士」というリハビリテーション・運動の専門家を目指すことを決意します。
この「理学療法士」を目指して池田は大阪の4年生の専門学校へ進学しました。
専門学生時代は生活費を稼ぐために深夜までバイトをした後、寝る間を惜しんで勉強に励む生活でした。
一人暮らしをして体重も50㎏台まで落ちていましたが、病院実習も歯を食いしばってくらいついていきました。
特に実習中は大変でしたね。レポートが重なると、1週間に2~3時間しか寝れなかった時もあったんですよ。そのときは流石に駅の中を歩きながら寝ていた気がします(笑)」

しかしそのかいもあり、国家資格を無事合格した後は、国家資格である理学療法士免許を取得し、リハビリ病院に勤めることになりました。

治療家としての成長と挫折

病院勤務中の池田は「もっと治せるようになりたい」「もっともっと治療効果を出したい」と強く思い、休日になるたびに休み返上で勉強会や技術講習・学会に参加したり、一カ月に10数冊の専門書を読み漁っては知識、技術を高めるといったことを何年間も続けました。
「当時の私は『自分が治すんだ!!それが治療家としてのあるべき姿だ!!』と疑いもしませんでした。勉強しない理学療法士に嫌悪感すら感じていたほどです。患者さんに自分を必要とされたかったんでしょうね…。」
もちろん努力してきたことで、池田は多くの患者さんの笑顔を見ることができました。
一方で、良くなって退院していった患者さんがほんの数か月で再度入院してしまうことも少なくなく、中には身体や病気の状態からどうしても力になれずにお亡くなりになられるかたもいらっしゃいました。
「その度に『自分の治療が至らなかったせいだ…』『この人(患者さん)が入院してしまったのは自分の責任だ…』と自分を責めることが多くなりました。
徐々に患者さんと向き合うことが怖くなっていき、朝起きるのが辛くて、勤務中もトイレで隠れて吐きながら患者さんの治療をしていました。」

それでもなんとか人の役に立ちたいと休日は研修会に参加する日々、、、
元々アトピー体質だった肌も荒れ、めまいや耳鳴りに悩まされるようにもなってしまうようになり、あるときついに気持ちが切れてしまったのです。

「もう努力するのはやめよう、、、」

勉強することもやめ、ただ淡々とリハビリを提供することで、患者さんとまっすぐ向き合うことを避けるようになりました。

治療家としての転換期~挫折の後の希望~

「治療家として自分に絶望していた時に、たまたま知り合った治療家の先生の勧めで、あるセミナーに行くことになりました。当時の腐っていた僕としては、本当のところ嫌々でしたけどね(笑)』
しかし池田は、そのセミナーを受講していく中で明らかに自分に治療家としての熱が戻ってきているのを感じることになります。
ヒトはなぜ身体を壊すのか、そして壊れた体はどうやって治っていくのか?
健康とはなにか?症状とはなにか?
それらを一から勉強し直していく中で『予防医学』『体質改善』『自然治癒力』『代謝力』『免疫力』に注目し、これらの力を高めるような治療が、症状を元から改善させることができる根本治療になると強い希望を持ち、探求していきました。
1つのことに夢中になるととことん極めたくなる、本来の彼が復活したのです。

「治療家が主役」ではなく「患者が主役」になれる治療家でいたい~病院からの独立~

理学療法士として『もっと治せる治療家になりたい』『治療効果を出せるようになりたい』と治療家が主役の治療を良しとしていた考え方から『患者自身が自分の体を自分で治していくことを支えられるような治療がしたい』『治療家が主役の治療ではなく患者が主役の治療がしたい』そう考えるようになったことで、今まで以上に患者様に納得していただけるような治療が提供できるようになっていきました。
しかし一つだけ心にひっかかりが生まれました。それは病院に勤務しているということ。
「病院というのはどうしても「調子を崩したら」「怪我をしたら」「症状が悪化したら」治してもらう場所っていうイメージがあると感じました。
それに雇われている以上、どうしても強く伝えられない部分があったんです。」

大きく身体を壊してしまってからでは、良くなるのにどうしても時間と費用がかかってしまう。
それにお見舞いに来られる家族や親しい人たちへの心身の負担も大きくなる。
大きく体調を崩す前に予防できたら、治療にかかる費用はきっと格段に抑えられるはず。
そして何よりも症状に悩まされずその人らしい時間やお金のを使い方ができるはずだ。

その考えを実現するためには、どうしても病院では限界がありました。
自分を頼ってくれる患者さんにもっとしっかりと伝えたい。
もっと親身になって話を聴きたい。
もっと患者さんにとって近い存在になりたい。
理学療法士として働き始めて10年が経ったころ、池田は独立の決断をしました。
と言っても完全な独立ではなく、理学療法士として働きながら、空いた時間を根本治療や予防の重要性を伝えていく時間にあてるスタイルです。
幸いにも、病院勤務時から彼の治療をずっと受けたいと言ってくれていた患者さんもいました。
そういった患者さん一人一人に連絡をとっていくことから始まりました。
中には様々な理由からお断りされることもありましたが、喜んで受けてくださる方もいらっしゃいました。
「週末開業の形でしたが、その時の方々は今でも僕の施術を受けてくれています。」
それからも様々な壁にぶつかりながら「やっぱり自分の想いは間違っていない」と想い、2019年1月に伊丹市に整体院を開院することに。
一人でも多くのお客様に根本治療と予防に関する大切さを伝えていくことを決意したのです。

院長 池田にとってのいたみ いろどり整体院とは

ここまで、いたみ いろどり整体院の院長・池田佳未の治療に対する想いを書かせていただきました。
とてつもない長文になってしまいましたが、まだまだ彼のことは伝えきれておりません。
もっと、もっと、伝えたい想いがあります。

池田が話してくれたことの中で印象的な内容があります。
「『治療』は、どうしても治療する側とされる側というイメージが先行してしまうと思います。
だけど僕の整体院の考え方は違って『症状を治すのは僕とあなたの二人です』といつもお伝えしています。
こんな言い方をすると『治療家のクセになんて無責任な!』と腹立たしく感じる方がいらっしゃるかもしれません。
僕の施術は対処療法ではなく根本治療、つまりあなたの自身の治ろうとする力である『自然治癒力』が高まるような施術を行っていきます。
僕の施術に対する考え方に否定的な治療家はおられると思いますし、僕の考え方が正解だとも思っていません。
しかし患者さんの人生において、僕が治療家として関わることのできる時間って本当に僅かです。
人は病気や辛い症状に襲われないと生活を見直す事が出来ない生物です。
偉そうに話してる僕自身も、過去には痛み止めやシップで誤魔化してきましたからね。
でも、あなたがご自身の身体を少しだけでも労わってあげられるようになると、身体は必ずあなたの気持ちに応えてくれます。」

そして彼は、最後にこう言ったのです。

『患者さんは、私にとって大事な友人であり、家族なんです』

独立に際して池田はまず出張専門での整体院として開業しました。
「どこかの貸店舗を借りてやることも考えたんですが、それでは他の治療院と一緒になってしまうと思ったんです。
どうしても治療家と患者さんという関係性を崩したかった。
僕と患者さんの二人三脚で、患者さんと目的を達成したかったんです。
運命共同体ですね(笑)
そのためには患者さんと友人・家族以上の関係性にならなりといけないと思いました。
言いたいことを言い合って、時にはぶつかって、それでもお互いがお互いを信頼して進んでいく、、、それが僕が想う治療のあるべき姿です。」

池田佳未は決して器用な人間ではありません。
どちらかというと不器用な人間です。
ですが、どんなに不器用と言われても、この治療に対する情熱だけは誰にも負けません。
困っている目の前の方をなんとか笑顔にしたい。
そのためだけにこの仕事をしている池田の覚悟をひしひしと感じました。

2019年1月、いよいよ『いたみ いろどり整体院』が開院します。
『やりたいことができない』
『日々の生活すら辛くてたまらない』

そんな風にご自身の心身の不調でお悩みの方は、ぜひ『治療馬鹿』と呼ばれる熱意と覚悟を持った男、池田佳未のもとを訪ねてください。

あなたは悩みはきっと笑顔に変わるでしょう!